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京都地方裁判所 昭和57年(ワ)1408号 判決

原告 船木よし子

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 竹澤喜代治

被告 医療法人仁心会

右代表者理事 曽根久郎

右訴訟代理人弁護士 莇立明

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し金一三〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一二月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告の地位

被告は、昭和五六年一二月当時、医療法人仁心会曽根病院(以下「被告病院」という。)の名称で医療施設を経営していたものである。

2  船木義治の転落事故による受傷

船木義治(以下「義治」という。)は、昭和五六年一二月五日午後一一時過頃、飲酒酩酊のうえ、宇治市所在の京阪電車宇治線三室戸駅において待車中、過って高さ一・三メートルのプラットホームから線路上に転落し、顔面挫創、全身打撲傷のほか、左第二ないし第一〇肋骨骨折、出血性ショック、腹部内臓破裂等の傷害を負った。

3  被告病院医師折野達彦の医療上の過誤及びそれによる義治の死亡

義治は、右受傷後、救急車に収容され、同日午後一一時五〇分頃、被告病院に搬送されて入院し、当直医師折野達彦(以下「折野医師」という。)の診療を受けることになったが、折野医師は、救急隊員の説明により、義治が飲酒酩酊していて駅のプラットホームから転落したことを承知していたのであるから、外見上、身体各部の擦過傷等が軽度に見えても、内臓破裂による失血の有無、ひいては静脈輸液の要否を確認するために、血圧の測定が不可欠であり、ほかに腹部症状及び全身の一般的な症状を把握するのはもとより、その他の身体各部に存する外傷を十分に観察してその傷の性状や程度を総合して診察すべき注意義務があるにもかかわらず、これらを怠り、左第二ないし第一〇肋骨骨折は勿論腹腔内臓器の破裂を看過し、開腹手術等適切な処置を施さず、義治の受傷は顔面左眉下の裂創だけであると速断して、四針縫合した後、頭部のレントゲン写真を二枚撮影したのみで異常なしと診断し、急を聞いて駆け付けた原告船木よし子ら近親者が二回も「大丈夫ですか」と念を押したにもかかわらず、「大丈夫だから連れて帰れ」と申向けたのみで、その他何らの説明もなく、翌六日午前一時半頃、義治らを帰宅させた。

同原告らは、折野医師から命ぜられるままに義治を連れ帰ったものの、同人の容態が普通でないところから、家族交代で一夜一睡もしないで看病していたところ、容態の変調を感じたため、同日午前一一時半頃、被告病院に電話連絡し、同日午前一一時五〇分頃、義治を再度被告病院に入院させ治療を受けさせたが、同日午後〇時頃、義治の容態が急変して心停止となり、同病院において蘇生術が施されたが、同日午後二時二分、遂に義治は胸腹部打撲による腹部内臓及び大網・腸間膜内の血管破裂による出血によって死亡した。

折野医師の右診療上の過誤ないし民法六四五条、医師法二三条に基づく説明義務違反がなければ、義治の一命を取り留める可能性は十分あったものであり、義治の死亡は折野医師の右医療上の過誤ないし説明義務違反に基づくものである。

4  被告の責任

義治が被告病院に入院した昭和五六年一二月五日、義治と被告との間に義治の腹部内臓破裂を含む全身打撲傷、肋骨骨折、顔面挫創等に対する診察、治療を目的とする準委任契約が成立し、被告は義治に対し、適切な医療行為をなすべき義務を有していたが、被告の履行補助者折野医師が前記3のとおり診療上の過誤及び説明義務を怠ったため、義治を死亡させた。よって、被告には債務不履行による責任がある。

又、被告は、折野医師の使用者として、原告らが蒙った精神的損害を賠償する責任がある。

5  損害

(一) 義治の逸失利益

(1) 義治は右死亡当時五一歳の健康な男子であり、東陽商事株式会社に勤務し一か月平均約一〇万円の給与を得ていたので、稼働可能年齢である六七歳まで一六年間の逸失利益現価を新ホフマン方式で求めると(ホフマン係数は一一・五三六)、その金額は次のとおり一三八四万三二〇〇円である。

100,000(円)×12×11.536=13,843,200(円)

(2) 義治は、死亡当時妻である原告船木よし子名義で宇治市内所在の丸山百貨店において「パリー洋装店」の屋号で婦人服地・洋服等の販売を同原告と共同経営し、その収益の二分の一である一か月平均約五万円の収入を得ていたので、前記(1)と同様に逸失利益現価を求めると、その金額は次のとおり六九二万一六〇〇円である。

50,000(円)×12×11.536=6,921,600(円)

(3) 原告らは、義治の死亡により右逸失利益の損害賠償請求権を相続により承継した。

(二) 原告らの慰藉料

原告船木よし子は、義治の妻であり、同陶山達子は義治の養女、同船木成一は義治の長男であるが、義治は船木一家の支柱であって、その死亡により家族の落胆は計り知れず、原告船木よし子は仕事が手につかず、前記パリー洋装店も昭和五七年一月末日限り閉鎖のやむなき状態となった。以上の次第で、原告らの精神的苦痛は筆舌に尽しがたいものがある。よって、原告らに対する慰藉料額は、原告船木よし子に対して五〇〇万円、同陶山達子、同船木成一に対してそれぞれ二五〇万円、合計一〇〇〇万円が相当である。

よって、原告らは被告に対し、債務不履行及び不法行為による損害賠償請求権に基づき三〇七六万四八〇〇円の内金一三〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一二月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。

3  同3の事実のうち、義治が、昭和五六年一二月五日午後一一時五五分(一一時五〇分ではない)に救急車にて被告病院へ搬入され、被告病院当直医師折野達彦がその診療を行なったこと、折野医師が義治の左眼瞼部の挫創を四針縫合し、頭部レントゲン撮影をしたこと、原告船木よし子が翌六日午前一一時過頃、被告病院へ電話連絡したこと、同日午後〇時一〇分頃、義治が被告病院へ来院したがすでに心停止していたことを認め、その余は否認する。

4  同4の主張は争う。

5  同5の事実のうち、義治と原告らの身分関係は不知、その余は否認する。

三  被告の主張

1  折野医師の義治に対する診療経過

(一) 義治は、昭和五六年一二月五日午後一一時五五分、被告病院の救急外来へ搬入されて折野医師が診察をしたが、救急隊の説明では「駅のプラットホームから下へ落ちたらしいが、詳しい状況は分らない」とのことであった。義治は受診時泥酔状態で言葉は呂律が回らず、呼吸は口からし、酒臭が非常に強かった。折野医師は直ちに全身状態を診察したところ、左眼瞼部に長さ約三センチメートル、深さ約三ミリメートルの挫創があったが、その他の外傷は顔面、頭部、頸部、胸部等にはなく、他には背部の左肩胛骨上部と下肢右膝関節前面に擦過傷があっただけであった。そして、胸部を外から圧迫したが痛みその他の訴えはなく、背部(肩胛骨、脊柱、肋骨など)を指で圧迫しても痛みなどはなかった。腹部は全体に柔かく平担であり、腹部内臓破裂に伴う腹部膨隆、腹壁緊張、筋性防御、ブルンベルグ徴候などは全く認められず、圧迫しても痛みなどは全く訴えなかったので、内臓破裂等は考えられなかった。

(二) 以上の診察により、治療として前額部を四針縫合し、左前膝部に消毒ガーゼをあてたうえ、頭部のレントゲン写真を撮ったが異常所見はなかった。又血圧を測定しようとしたが体動が激しく、腕に力を入れるため測定ができず、家族は「血圧は測らねばいけないんですか」と早く帰りたい旨催促し、義治も折野医師に対して、時々眼を開けて「ここはどこや」「おまえ誰や」と言う始末で、何回も繰り返したが血圧はついに測定できなかった。

(三) 以上により、折野医師は、全身状態につき他に格別の異常なしと診断し、家族に対し「あと吐いたり頭痛がしたり、違う様子がみられたらすぐ連れて来て下さい」と申し向けて、翌六日午前一時過ぎ、義治らを帰宅させた。

(四) 原告船木よし子から同日午前一一時過頃、被告病院に電話があり、「昨日の救急車の患者だが、酒が体内に残る時間を聞きたい、本人の様子がいつもと違うので」と言うので、被告病院勤務医師垣内成泰はすぐ来院するよう指示したが、同原告は「もう少し様子をみる」と返事をし、すぐには来院しなかった。その後、同日午後〇時一〇分頃、義治が被告病院へ同原告らにより運ばれて来院し、看護婦が駆けつけて見ると、すでに心停止し、死亡していた。

2  折野医師の行為と義治の死亡との間の因果関係の不存在

以上の経過をみると、義治に当初から内臓破裂があったとすれば、それに伴う症状である腹痛、吐気、嘔吐、不穏興奮状態が帰宅後すぐ発症しているはずであり、一睡もせず看病していたという原告船木よし子が直ちに被告病院へ連絡し、再搬入したはずである。それにもかかわらず、それらがなかったのであるから、義治の内臓破裂等の受傷は、被告病院から昭和五六年一二月六日午前一時二〇分頃一旦帰宅した後に、何らかの原因で発生した外傷性打撲等によるものとしか考えることができず、折野医師が適切な処置及び説明をしたか否かに関係なく、義治の死亡と折野医師の行為との間には因果関係がなく、被告には何らの責任もない。

3  折野医師の義治に対する診療の相当性

原告らは、義治が内臓破裂の傷害を受けていたと主張するけれども、かかる所見は折野医師の診察の際なかったものであり、又、血圧検査もしなかったと主張するが、前記1(二)のとおり測定しようとしたのであるが、義治の抵抗により測定が不能となったもので、しかも前記全身状態からみてあえてその必要性に乏しく、帰宅させて経過観察すれば足りると判断したのであり、折野医師の診療には何らの過誤もなく、被告に責任はない。

四  被告の主張に対する原告らの認否及び反論

1  被告主張1について

(一) (一)の事実のうち、腹部を圧迫したが痛みなどは全く訴えなかったこと、所見上内臓破裂等は全く考えられなかったことは否認する。

義治は、血圧測定操作をしている間中、顔をしかめながら腹痛を訴えていたにもかかわらず、折野医師は、簡単に外傷だけで内臓には異常がないと速断して、それを無視する重大な過誤を犯したのである。又、折野医師は、義治の左眉下の外傷を縫合し、頭部のレントゲン写真を二枚撮っただけで内臓関係の精密な診察をしていないのであるから、その主張のような判断ができるはずはない。

(二) (二)の事実のうち、原告側が帰宅を急いだため血圧の測定をしなかったかの如くに主張する点は否認する。

折野医師は、看護婦に血圧を測らせながら、義治が動くので測れないとの報告により、簡単に「大丈夫でしょう」と言って中止させたものである。血圧の測定は、看護婦に手伝わせて折野医師が行なえば、容易に測定できたのである。

2  同2の事実のうち、義治の内臓破裂の受傷は、被告病院から昭和五六年一二月六日午前一時二〇分頃一旦帰宅した後に、何かの原因で発生した外傷性打撲等によるものとしか考えられないとする点は否認する。

義治は、同日午前一時半頃、折野医師から原告船木よし子が「大丈夫だから連れて帰れ」と言われて一旦帰宅したが、その後、内臓破裂を起すような何らの原因もなかった。

3  同3の事実のうち、折野医師に義治の死亡につき何らの医療過誤はなかったとする点は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  義治の転落事故による受傷及びこれに対する被告病院の診療経過等

被告が、昭和五六年一二月当時、医療法人仁心会曽根病院の名称で医療施設を経営していたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  義治は、昭和五六年一二月五日午後一一時三〇分頃、飲酒酩酊のうえ、京都府宇治市菟道車田所在の京阪電車宇治線三室戸駅上りホームにおいて待車中、過って高さ一・三メートルのプラットホームから線路上にうつぶせに転落して受傷し、救急車に収受されて、同日午後一一時五五分、被告病院の救急外来へ搬入され、当直の折野医師の診察を受けることになった(義治が救急車に収容されて折野医師の診察を受けることになったことは当事者間に争いがない。)

2  義治は、救急外来の診察室のベッドに仰向けに寝かされ、泥酔状態で自力で立つことができず、酒の臭いが強く口で息をし、言葉は呂律が回らず発問に応えられる状態ではなかった。そして、時々目を開けて訳の分らないことを唸り、「ここはどこや」「お前は誰や」というようなことを口走っていた。救急隊員の説明では「駅のプラットホームから下へ落ちたらしいが、はっきりとした状況は分らない」とのことであった。

3  そこで、折野医師は、まず、頭蓋内出血の有無を確かめるため義治の瞳孔反射を診たが、正常どおり縮瞳したので、次に、頭部の前面から側面にかけて外傷の有無を視診するとともに、触診で頭部に打撲等による腫脹の有無を診て異常がないのを確認した。また顔面については左の眼瞼上部に長さ約三センチメートル、深さ約三ミリメートルの挫創を認め、そこから少量の出血をしていたが他には外傷を認めなかった。頸部には外傷を認めず、前屈後屈の運動も義治の痛みの訴えはなく、異常がないと判断した。さらに、義治が背広とその下にワイシャツ、下着を着ていたので、背広を脱がせ下着を上にたくし上げて、胸部に外傷がないことを視診で確かめたうえ、胸部に聴診器を当てて聴診したが、胸の呼吸音、心臓の音に異常を認めず、又、胸部を側面と前面から手で圧迫して義治を観察したが、痛みの訴えとか苦痛感の表情がなかったので、胸部にも異常はないと判断した。次に、シャツを上げてズボンを腰まで下げて腹部を診察したが、視診上外傷はなく、又触診上も腹部は柔らかくて押えたときの圧痛をどこにも認めず、かつ腹腔内に出血がある場合に現われるような筋性防御、筋肉の抵抗感、腹膜刺激症状を示すブルンベルグ徴候もなく、しかも聴診上も腹部の音は腸の動きを示す音が正常に聞えていた。腹部は全体として柔らかく、出血や消化管の穿孔があって腹膜炎を起こしたとか腸閉塞がある場合に認められる筋肉の硬化現象は認められなかった。さらに、義治をベッドに座るように起こして、シャツをたくし上げて背中を診たところ、左の肩胛骨の部分に軽い擦過傷を認めたが、特に出血や腫脹はなく発赤の程度も強くなかった。又、脊柱に沿って指で圧迫し、肋骨の方も指と手の平で圧迫したが、痛みの訴えはなく、肋骨の骨折はないと判断した。次に、両上肢を動かしてその運動制限の有無を診、手の平で押えてみたが痛み等の訴えもなく、さらに、ズボンを膝の上までたくし上げて、大腿、下腿、足関節の部分などを上から圧迫したが、痛みの訴えはなく、骨折等の症状は認めなかった。ただ、右膝の前部に軽い擦過傷を認めた。又、上下肢の神経学的反射も正常であった。全身状態としては右のとおり左眼瞼部の挫創等以外には格別の外傷が認められなかったので、左眼瞼部の挫創につき局部麻酔をして四針縫合し(折野医師が義治の顔面裂創部位を四針縫合したことは当事者間に争いがない)、右膝の擦過傷は出血はしていなかったが、発汗が強かったので消毒してガーゼを当てる手当に止めた。

なお、レントゲン写真は、頭部を二枚撮った(頭部のレントゲン写真を撮った事実は当事者間に争いがない)が骨折などは認められず、又胸部、腹部は異常を認めなかったので、これを撮らなかった。脈拍は一分間に九〇でやや早いが、泥酔状態であることから考えて正常な範囲内と判断し、血圧については、義治が泥酔状態で上下肢をばたばたさせて暴れて抵抗するので、看護婦と二人がかりで何度も測定しようとしたが測定できなかった。しかし、血圧については、義治の口唇とか顔面の色は赤く、爪の色も特にチアノーゼを認めず、橈骨動脈を触れたところ、手に触れる脈拍の緊張がよかったことから(普通、血圧が低い場合は、橈骨動脈のような末梢の脈拍は触れにくくなって容易に触診できない)、前述した全身状態をも併せ考慮し、血圧は一〇〇以上あり、格別低くはないものと判断し、鎮静させてまで血圧を測定する必要もないと認め、血圧測定を中止した。又、義治は、被告病院にいる間、痛みの訴えや顔をしかめる等の表情を示したことはなかった。

以上の診察により、折野医師は、義治の受傷を顔面挫創と背部及び下肢の擦過傷と診断した。

4  しかし、折野医師は、診察時に全く正常な場合でも、後に出血してくる場合があるので、一応入院させて経過を観察したいと考えたが、翌六日午前一時前急を聞いて駆け付けた原告船木よし子が、常々よく泥酔状態になっているということで、義治を連れて帰ると言うので、同日午前一時過ぎ、頭痛、けいれん、吐き気等の普段と変ったところがあればすぐ連れて来るように言って、その旨を印刷した注意書を渡して連れて帰らせた。

5  義治は、帰宅後風呂に入ると言い、その際、転んで部屋のガラスを割ったりしたが、下半身を洗って貰った後、二階に運ばれるようにして上り就寝した、同日午前一一時過ぎ頃、原告船木よし子から被告病院の事務に電話で義治の様子がいつもとちがうということで酒が体内に残る時間についての問い合わせがあったので、被告病院勤務医師垣内成泰(以下「垣内医師」という。)は、すぐ来院するよう事務の者を介して指示したが、同原告は「もう少し様子をみる」と返事をして電話を切った。その後、同日午後〇時頃、義治がその息子である原告船木成一が運転する自家用車で運ばれて被告病院に来院し、看護婦次いで垣内医師が駆け付け容態を診たところ、義治はすでに心停止し、垣内医師により約二時間蘇生術(人工心マッサージ、カウンターショック等)が施されたが効果がなく、同医師は、同日午後二時二分、義治の死亡を確認した。

6  義治の死体は、翌七日午後三時二八分、京都市所在の京都大学医学部法医学教室剖検室において、同大学教授上田政雄医師(以下「上田医師」という。)によって解剖されたが、その結果によると、義治の死体における主要な成傷所見は次のとおりであった。

(一)  顔面部の損傷

左眉の外側にあたり正中の六センチメートル左に、斜上下に走る二センチメートル×〇・五センチメートルの赤紫色の表皮剥離が、鼻根部の一センチメートル上方、正中より〇・八センチメートル左には、上下方向に〇・五センチメートル×〇・二センチメートルの赤紫色の擦過性表皮剥離がそれぞれ認められ、右眉の外側方に体正中より五センチメートル右には、上下一・五センチメートル×〇・三センチメートルの赤紫色の表皮剥離があり、さらにその外側に〇・七センチメートル×〇・三センチメートルの表皮剥離が認められた。

(二)  胸部の損傷

胸骨上縁の二一センチメートル下方、正中の三センチメートル左には、小豆大の淡赤褐色の皮下出血があり、左乳頭の下方には三センチメートル×三センチメートルの赤褐色を呈した皮下出血が認められ、さらに、胸骨上縁の六センチメートル下方、正中より一六センチメートル左には、一センチメートル×〇・五センチメートルの赤褐色の皮下出血が認められた。又、胸骨上縁の二六センチメートル下方、正中より一〇センチメートル左には、左右一センチメートル×〇・八センチメートルの淡赤褐色を帯びた皮下出血及びこの部の二センチメートル左下方には径一センチメートルの皮下出血が、胸骨上縁の一〇センチメートル下方、正中の一六センチメートルからやや左に傾いた長方形の四センチメートル×七センチメートルの赤褐色の変色部が認められ、その周囲に〇・三センチメートルにわたって紫赤色の環状物があり、この部には大きな皮下出血が認められた。そして、左乳頭の七センチメートル左、外側には肋骨骨折が認められ、胸骨上縁二八センチメートル下方、正中から一八センチメートル右においては、左右二センチメートル×一・五センチメートルの淡赤褐色の皮下出血が、右鎖骨の外側には五センチメートル×七センチメートルの範囲にわたって三個の赤褐色の皮下出血があり、この部の皮下に骨折が認められ、骨折を触知できる状態であった。骨折の状況は、左第二、第三肋骨は左前腋窩線上で骨折し、第四ないし第六肋骨は左乳線上で骨折し、第七ないし第一〇肋骨は左前腋窩線上で骨折していた。その骨折の周囲左肋間筋内には、それぞれ肋間筋内出血が、前縦隔洞内組織には五センチメートル×一一センチメートルの出血が認められた。又、右第四、第五肋骨は右前腋窩線上で骨折していたが、右胸壁上には出血は認められなかった。

(三)  頭部の損傷

後頭部皮下には五センチメートル×四センチメートルの頭皮下出血が認められた。

(四)  左右上肢の損傷

左前腕部には、手関節部から五センチメートル近位にかけ小豆大の赤紫色の変色部が二ないし四個認められ、左手の手背部中央には、赤紫色の大豆大の変色部が二個並び、その皮下には三センチメートル×一センチメートルの赤褐色の出血部があり、左上腕部内側には、腋窩部から七センチメートル末梢に上下六センチメートル×三センチメートルの範囲内に紫赤色の大豆大の皮下出血が六、七個散在していることが認められた。右肘窩には上下八センチメートル×左右七センチメートルの皮下出血があり、肘頭外側には三センチメートル×〇・二センチメートルの褐色を呈した線状の変色部が認められた。

(五)  左右下肢の損傷

左膝蓋骨上縁の内側縁には二個の小豆大の淡褐色の変色部が、側縁には淡褐色の大豆大の変色部が一個認められ、左膝蓋骨上縁の一一センチメートル上方には淡赤緑色の変色部を認め、大きさは四・二センチメートル×二・二センチメートルで、皮下には四センチメートル×三センチメートルの淡紫赤色の皮下脂肪織内出血が認められた。右大腿部の中央内側には、小豆大の赤褐色の変色部と大豆大の紫赤色の変色部がそれぞれ一個認められ、右膝蓋骨の右内側には、径二センチメートルの赤褐色の変色部とその中央部には径〇・七センチメートルの紫赤色の変色部が認められた。

(六)  体背面の損傷

隆椎の下方二五センチメートル、正中より六センチメートル左を上端として長さ一・五センチメートルの表皮剥離が認められ、皮下には軽度の筋膜下出血が認められた。又、左肩胛骨の下あたり、つまり隆椎の下方一一センチメートル、正中の一三センチメートル左を右端として、後腋窩線上を斜前下方に九・五センチメートル×〇・五センチメートルの赤褐色の革様化した表皮剥離があり、この傷の前半分には、左右二・五センチメートル×上下二・五センチメートルの赤紫色の皮下脂肪織内出血を伴い長さ一四センチメートルの筋膜下出血が認められた。

(七)  左胸壁上には、第二肋間から下方に二〇センチメートル×一〇センチメートルの大きな皮下脂肪織及び筋内出血が認められた。

(八)  大網、腸間膜及び腹腔内の出血

高度であって、大網の左半部には多量の凝血が、腹腔内には、約八〇〇ミリリットルの暗赤褐色の流動血が認められた。又、腸間膜の内部には多量の暗赤色の凝血が、腸間膜内にも横行結腸と下行結腸に対応した部分に小指頭大の出血が認められた。

(九)  左右胸腔内出血

左右胸腔内の出血は中等度であったけれども、赤褐色の流動血がそれぞれ約五〇CC認められた。

(一〇)  脾臓挫創

背側脾門部周辺から三センチメートル×一・五センチメートルの中等度の挫創があり、その周囲は暗赤紫色の凝血が附着していることが認められた。

(一一)  副腎破裂

左腎においては被膜下出血はクルミ大のものを認め、被膜外出血は多量に認められた。そして、左副腎破裂は高度であって、髄質内に多量の出血が認められ、髄質は融解軟化しており、左副腎の髄質の一部に軟化が認められた。

(一二)  膵臓破裂

高度であって、表面周囲には多量の凝血が認められ、断端において膵実質内へ出血が入りこんでおり、尾部の被膜下にはソラ豆大の出血が認められた。

以上の各所見等から、上田医師は、右、(八)、(一一)、(一二)が義治の死亡に関係があり、義治の死亡の原因は胸腹部打撲によって生じた腹部内臓及び大網、腸間膜内の血管破裂による出血に基づくショック死であると判断した。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

二  因果関係の存否

そこで、義治の死亡の原因となった傷害が、前記義治のプラットホームからの転落によって生じ、義治が救急車で被告病院に搬入された時点で既に発生していたか否かについて検討する。

右認定の事実と《証拠省略》によれば、義治の死亡の原因は胸腹部打撲によって生じた腹部内臓及び大網、腸間膜内の血管破裂による出血に基づくショック死であると認めることができるけれども(《証拠判断省略》)、前記一1、3、6で認定した事実と《証拠省略》を総合すれば、折野医師の診察時、胸部には、視診上は外傷がなく、聴診上も胸の呼吸音、心臓の音に異常がなかったこと、又、胸部を側面と前面から圧迫したが、義治には痛みの訴えや苦痛感の表情はなかったこと、腹部についても、視診上外傷はなく、触診上も柔らかく押えたときの圧痛もなかったこと、又、腹腔内に出血がある場合に現われる筋性防御、筋肉の抵抗感、ブルンベルグ徴候もなく、聴診上も腹部の音は腸の動きを示す音が正常に聞えていたこと、副腎等内臓破裂により出血している場合には尿は血尿で出る可能性があるのに、義治は被告病院に搬入された昭和五六年一二月五日午後一一時五五分から翌六日午前一時過ぎ帰宅するまでの間、尿失禁はあったが血尿を出すなどの症状はなかったこと、上田医師は前記解剖検査所見から、義治は胸腹部とそれと同時に体背面も同様に強い圧迫を受けている可能性が多いと判断しているが、仮に後ろから突かれたとしても(《証拠省略》によれば、義治が転落した当時、その付近のプラットホーム上には人が存在しなかったことが認められる)、本件の義治のように飲酒酩酊してプラットホームから線路へ転落した際に、かかる両面から同時に強い圧迫を受けることは物理的に通常考えられないこと、義治は前記解剖検査所見上、胸部に多くの損傷と一一本の肋骨骨折をしているが、左胸部の環状損傷と左第二、第三、第四ないし第六肋骨骨折、右第四、第五肋骨骨折等は、義治が、昭和五六年一二月六日午後〇時頃、被告病院に来院し、垣内医師がカウンターショック、心臓マッサージを施した際に受けたものと考えられること、その位置から義治の死亡原因たる内出血とショックの重要な要因を成した疑いがある前記一6(六)の左肩胛骨の下の傷(長さ九・五センチメートル、幅〇・五センチメートルの赤褐色の革様化した表皮剥離で、前半分には左右二・五センチメートル×上下二・五センチメートルの赤紫色の皮下脂肪織内出血を伴い長さ一四センチメートルの筋膜下出血)があるが、これは、鋭い角に裸の体が当った場合に生じ易いもので、皮下出血を伴っており、プラットホームから転落したときに背広、その下にワイシャツ、下着を着ていた義治に発生するものとは考えられないこと、加えて義治はうつぶせになってプラットホームから転落したのであって、体背面にかかる傷が生じることは通常考えられないこと、さらに、折野医師が診察したときには、背面も下着をたくし上げて調べたがかかる皮下出血を伴った創は見当らず、左の肩胛骨の部分に軽い擦過傷を認めただけであること、義治の第二腰椎付近には、内臓破裂に関係した疑いのある挫滅したような骨折があるが、これは、前記垣内医師の蘇生術の際生じたものではなく、後ろから一定の鈍器か何かで外力を加えられて凹んだものであって、義治が線路上に転落する過程において生じた骨折であるとの証拠はないうえ、義治の内臓破裂は、前記解剖検査所見によれば、膵臓、腎臓等にわたり、損傷程度は高度であり、出血量も多かったことが認められるのであるから、受傷後徐々に出血していたとしても、転落事故から被告病院を出るまでの約二時間の間には、出血によるショック症状の前駆として、例えば顔面蒼白や冷汗等が身体の外面に発現することが十分に考えられるうえ、泥酔状態とはいえ腹部の疼痛を訴えたはずであるのに、それが折野医師の診察の際みられず、心拍数も正常の範囲内にあったこと、以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

そうだとすれば、右のとおり折野医師による当初の義治についての所見と死亡後の義治の成傷との差異、本件転落事故の態様と義治の成傷との比較、当時の義治の泥酔状態等から考察すると、義治の死亡の原因となった胸腹部打撲によって生じた腹部内臓及び大網、腸間膜内の血管破裂が、被告病院から昭和五六年一二月六日午前一時過頃帰宅した後別の何らかの原因により生じた疑いも存し、本件プラットホームからの転落によって受傷し、昭和五六年一二月五日に被告病院に搬入された時点で既に生じていたことは、未だ認めるに足りないというべく、これと抵触する《証拠省略》は採用できない。

三  被告の責任

以上の説示によると、被告が原告らに対し、債務不履行に基づく責任を負うべきいわれはない。

なお、折野医師が血圧検査をしなかった点についても、前記一3認定のとおり、義治の挙動により測定できなかったのであり、かつ血圧の低下を示す所見も認められず、全身状態からみてもあえてその必要性に乏しかったのであるから、折野医師の診療行為は相当であり、又、当時内臓破裂の所見もなく、前記一4認定のとおり原告船木よし子に注意を与えて帰宅させたのであるから、説明義務にも違反しておらず、被告には債務不履行及び不法行為に基づく責任はないものというほかない。

そうすると、その余の判断をするまでもなく原告らの被告に対する損害賠償請求は失当である。

四  結論

よって、原告らの本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田眞 裁判官 小山邦和 中村俊夫)

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